幻獣との戦いは熾烈を極め、徐々に人類は敗色が濃厚となっていく現在の戦況で、それでも希望を忘れないのは人の性(さが)か。
どんなときでも、いや絶望的な状況下でこそ、人は心に余裕が無くてはならない。
そう、少なくとも、…彼はそうである。
5121小隊きってのエースパイロット、悪名名高い『芝村』の末姫、芝村舞といつも柔らかな笑顔を絶やさない『ぽややん』速水厚志は、士魂号複座型突撃仕様というミサイルポットを背中に張りつけたいかにも鈍重そうでバランスの悪そうな人型の機体を駆っている。
彼らは日々忙しく戦場に整備に訓練にと駆け回っている実際は極普通の学兵である。
一見して彼らの性格はそりの合わないところもあるだろうと感じさせるのだが、彼らはこと趣味においては同じ共通点が多い。
そして、その彼らの共通の趣味の最たるものというのが、『紅茶』である。
この戦時下での状況で、実際嗜好品にかける予算は無い。
もはやよほどの物好きが細々と生産しているのみである。
大陸との交流ももはや絶望的な昨今、特に紅茶の産地として知られているインドは早期に幻獣戦力下に落ちていた。
第二次世界大戦以前から続けられていた英国政府からの独立運動、ヒンドゥー・イスラム両教徒の対立によっての疲弊、それらの状況下での幻獣の出現に、植民地であった南・東南アジア地域はあっけないほどに幻獣に蹂躙されることとなった。
その後、中国からの輸入に頼っていた紅茶も戦況の悪化により自国での生産ラインでの極小数のみが細々と一般へと出て行くこととなる。そしてそれは現在も変わりないが、代用品として合成の茶葉、また代替用品の紅茶が今現在の日本の市場ルートの99パーセントを席巻していた。つまり、今現在手にはいる紅茶のほとんどが昔から飲まれていたものとは違うということだ。まあ、チョコレートや牛乳、その他生鮮食品もそういった状況であるのだからそれは当たり前のものであった。
しかし、昨日彼は、なんと日本産の紅茶の茶葉を手に入れることが出来た。
近所の人のいい老婦人が疎開するということで、とっておきのお茶を彼にくれたのだ。
むろん、速水とその老婦人の面識はほとんど無いといっていい。
朝たまに会うことがある程度で、記憶に確かならば、ほんの3回か4回ほど言葉を交わしただけのことだ。
持って行くのは大変だからと一緒に紅茶の茶器まで一式貰ってしまったが、これをチャンスだと速水は考えた。
最近になって、速水は舞に告白して付き合うようになった。
しかし、いまだに彼女との関係はようやくファーストネームで呼び合うようになっただけで、実際にはいまだキスさえしたことが無い。
これは、チャンスだ。
確かに彼女とは何度かデートしたことはあるが、その最後を幻獣の出現によって邪魔されたことが多々あった。
それに、小隊の内なる敵『奥様戦隊』にも何度かからかわれていっこうに二人は前の状態から進んだといった感じは無い。
出来たら、彼女との関係を進めたい。
駄目ならば、せめて彼女と一緒にゆっくりとした休息の時間を。
最近富に戦況が悪化している現在の、それは速水の小さな目標だった。
今日は、ちょうど翌日に休みを控えた土曜日だった。
その日は出撃が早朝あり、その日の戦闘での機体の損傷を修理し、少しばかりの機体の性能向上に努めて我に変えると、もう深夜といっても仕方の無い時間帯で、ハンガーにはとうに整備員の一人も残ってはいない時間だった。
もしかしたら他の場所にはまだ残って訓練などしているかもしれないが、少なくともその場には他の誰もいないようだった。
速水は、同じく機体の神経接続性能を上げている舞を見つめて、彼女の顔色の悪さに嘆息した。
そういえば、彼女は先ほどから一体どれほど休憩を取っていないのだろうか。
今日の戦闘では、駆けつけるのが遅かったために─それでも急いで出撃したのだが─友軍の兵士が多く犠牲となった。
不可抗力といってしまえばそのとおりだ。僕らが救える人の数など高が知れている。どれほどの努力をしたとしても、救えなかった命を元に戻すことは出来はしない。
それでも、彼女はそれを心の中で悔いて、無理をする。恥だといいながらも人知れず努力を続ける。それは、世界を征服する努力だと言うが、実際にはこういったほうがいいと思う。
人を守るための努力だ。
どこかの誰かが命を失うことが無いようにするための努力。
その際に、自身の体のことなど一切気にしないときがあるのを速水は知っている。一緒に訓練をしていて、何度彼女が意識を失ったことがあるだろうか。軽い眩暈などはそういった際には数え切れないほどに彼女はおこしている。
「舞、まーい?」
彼女を気遣ってそっと声をかけると、幾度か呼びかけを繰り返したところで彼女が気がついたのか、速水を見つめた。
「何だ、厚志?」
ようやく現実に彼女が戻ってきたのを見て速水は苦笑をこぼした。
「何だ、じゃないよ。キリのいいところまで済んだら、今日はもう帰ろう。」
ほらほら、と速水は左の手首を示して、時刻を考えるように舞に促した。
むっと眉を寄せた彼女が多目的結晶で時刻を確認するのを見て、速水は少し安堵する。
これで彼女は仕事を終えて帰宅してくれるだろう。
彼女の体は、あんまりな無茶は出来ないようになっている。こういったことを繰り返していけば、体力を向上させるよりも先に彼女が駄目になってしまうだろう。そのことを、彼女は知っている。
だからこそ、彼女は無謀なことはしない。実戦ではまた違うだろうが。
「ふむ、後もう少し待ってくれるか?」
「うん、構わないよ。待ってるから、一緒に帰ろう。」
自然と笑顔を浮かべて舞に頷いた。
こんな夜遅くに女の子一人で帰らせるなんて、男の風上にも置けないと思うし、何よりも彼女は自分の一番大切な人だ。
一人で帰らせるだなんて、何のために一緒に機体の調整をしているのか。いや、もちろんそれだけではないのだけれど。
その速水に舞も最近ほんの少しだけ見せてくれるようになった微笑みを浮かべた。
それだけで、速水は今までの疲れが取れるような気持ちになる。
彼女がそれ以上の無理をしないように速水は気を配りながらも、自分は自分で後10分はかかるであろう待ち時間で必要の無い工具を片付け始めた。
彼女の調整が終わったら、早く帰れるために。
ちょっとだけその途中で彼は、ある用事も済ませたが。
速水の予想通り、舞は10分少々の時間でキリのいいところまで仕上げると、二人は連れ立って尚敬高校を後にした。
帰り道、彼女と家の方向が同じでよかったと速水はいつも思う。
そうでなければ、彼女はきっと遠慮してしまうだろうから。
空に広がる満天の星空は、灯火管制の敷かれた今だからこそ邪魔をする町の明かりがなく綺麗に見える。
空に散らばった綺麗な瞬きの傍らには、昔は白く輝いていた緑の光を放つ月と黒い月とが浮かんでいた。
夜道を二人言葉すくなに帰りながらも、速水は夜目にも顔色の悪い舞を意を決して誘った。
「舞、昨日……いや、もう一昨日かな。ご近所に住んでいたおばあさんから紅茶を貰ったんだ。生産ラインにほとんど乗っていない本物の茶葉のヤツ。」
「ほう、今の戦況でもそんな嗜好品を持っている者がいたのか。」
「うん、とっておきだって言ってた。知り合いの農家の人が趣味で作ってるのを分けてもらってるんだって。疎開して本州にいる息子さんのところに行くから、どうぞって。」
ちょっとした逡巡。
「あのさ、今から、うちに飲みに来ない?」
「……あ、あつし?」
「その、やっぱり舞と一緒に紅茶が飲みたいし。あ、淹れ方もね、おばあさんに正式な淹れ方っていうの習ったんだよ。ゴールデンルールって言うの?」
「え。」
「舞と一番初めに飲んでみたいんだ。」
「夜食も作るよ?一人で食べるよりも、やっぱり二人で食べたほうが御飯も美味しいしさ、その、だから、ええと!」
「明日は、その休みだし!」
断られたくない。
その願いから、舞の言葉を封じるように勢い込んで話してみるが、速水はぱたりと口を閉じた。言葉が続かなかった。
これ以上言葉を重ねることで彼女はどう思うだろうか。
それに、なんだか墓穴しか掘っていない。
どうして彼女のことになると、こうも自分は不器用になるのだろうか。
なんだか、下心が暴走してるっていうか。
そっと、恐る恐る舞の様子を伺うと、頬を染めた彼女が其処にはいた。
パクパクと幾度か間抜けにも(速水にとっては可愛らしくも)言葉なく口を開いたり閉じたりした後、しばし彼女は悩んでいたようだったがその迷いを吹っ切るとこう言った。
「その、おまえがどうしても、というのならば……。」
あまりの可愛らしさに、速水は危うく魂を抜かれるところだった。
慌てて我に返り、返事を返した。
「…うん、はい、Yes!どうしても。」
「なら、いく。」
きょろきょろと周りを見てから、舞は速水を上目遣いで見た後、そっとの速水の手を握った。
部屋の掃除しといてよかった。
そうしみじみと速水は思う。
掃除していなくともあんまり現在と変わらない綺麗好きな速水の部屋についてからも、速水の飼い猫マイのことで一騒動起こったが、どうにかこうにか取り成して、速水は気性の穏やかな猫のマイを舞の膝の上に寝かせて動きを封じると、早速食事を作り出した。
家にあるものは少なく、疲れているためかそう料理をする気力もない。そのため、速水はあるもので簡単に夜食を作った。サンドウィッチになったのは、『サンドウィッチ魔王』との異名も名高い彼らしい名に恥じぬものかもしれない。
残りの野菜でスープやあり合わせのサラダを作る。
時間のかからない、手間の要らないものだ。
本当ならばもっと凝ったものを作りたかったが、今の戦況と時間がそれを許さなかった。
せっかくなので、食事の後で紅茶は飲むことにして、遅い夜食を済ませると、速水は取って置きの紅茶を用意した。
付け合せにと焼いておいたクッキーを添えるあたりが彼の細やかさが表れている。
きちんとポットとカップを温めて、それから紅茶の茶葉を多めにポットにいれて、沸騰したお湯を一度違う容器に移してから速水はポットに注いだ。
「これね、春摘みのお茶だから、沸騰したお湯入れちゃ駄目なんだって。」
不思議だよね?お茶によっても摘んだ季節のよっても淹れ方が違うんだって。
興味深そうに速水の手元をみつめる舞に、速水はちょっと照れながらそういった。いつもの彼女ならば、恥ずかしがってそうそう速水の事を見つめ続けてはくれないから、なんだか紅茶を淹れるだけだというのにくすぐったいような気分になる。
「ええとね、空気を入れるように入れるんだけど、火傷すると危ないからちょっと舞は離れててね。」
習ったとおりの手順で速水は紅茶を入れていく。
お湯を入れたら、ポットが冷えないようにティーコゼーをかける。
それからは、大体2分から2分半蒸らして、途中で時々味を見ながら、速水は少し早めのところで紅茶を淹れはじめる。これで、大体ちょうどのはずだ。
最後の一滴まできっちりとティーカップに注ぎいれる。最後の一滴、ゴールデンドロップは舞のカップに速水は注いだ。
いつも飲んでいる紅茶よりもちょっと浅い感じのさっぱりとした春の紅茶は、白いカップに映える。
「はい。」
舞のほうへとカップを差し出して、まずは彼女が一口飲むのを速水は待った。
出来栄えがどうか、わからなかったから。
どきどきしながら彼女の感想を待つ。舞はそんな速水の様子に気がついた風もなく、両手でカップを持つと火傷しないようにゆっくりと一口飲んだ。
「美味い。」
ふわりと、舞が自然に笑みを浮かべた。
ほっと、彼女の体から力が抜けたのがわかった。
今の今まで彼女の体から抜けなかった余計な力が抜けている。
舞に気がつかれないようにそっと微笑んで速水は自分も紅茶に口をつけた。
我ながら、習ったばかりにしてはいい出来で淹れれたと思う。
ふわりと広がる芳香に、紅茶独特の苦味に速水もほっと力が抜ける。
ああ、もしかしたら、救えなかった命を悔いていたのは自分もなのかもしれない。
せめて、彼女が緊張しすぎてその神経の糸を切らないように。
悲しみに捕らわれすぎないように。
その心さえも守っていきたい。
そう願って、彼女を少しでも休めたくて今日初めて家に誘ったけれど。
「よかった。うん、美味しく淹れれたみたいだね。」
舞の微笑に、速水は世界の守護者たることを新たに誓う。
いつも、そうだ。
舞は、気が付かなかった自分に気がつかせる。
彼女と共にあることで、自分は世界に優しくなれる。
そう、世界を守ろうと思えるのは、彼女がいるから。
きっと、彼女が傍らにいてくれさえすれば、恐れるものは何も無い。
「気を遣わせてしまったな、厚志。感謝を。」
ああ、どうして今日どうしてもとお茶に誘ったのか、どうやら彼女は気がついてしまったらしい。その理由の後半に。
「感謝なんていらないよ。舞、僕が舞と一緒に紅茶を飲みたかったんだ。」
「それでも、感謝を。」
例えどんな相手にもきちんとお礼がいえるのは、彼女の美徳。
迷いのなくなった、澄んだその瞳は速水をいつも勇気付け進むその先を見せてくれる。
誰よりも綺麗な人。
その彼女の微笑に、速水は思いついて即行動に移した。
「それじゃあ、僕も、君に感謝を。」
彼女が気がつくよりも早く、頬に唇を寄せた。
掠めるように口付けて、彼女を見つめていると、ポン!と音がしそうな勢いで顔が真っ赤になった。
「ななななな、何をする!?」
「カダヤとしての感謝の印の表し方、かな?」
「……〜〜帰る!」
「ええ?泊まっていくでしょう?」
「何を根拠に!!」
「だって、舞の体力じゃあ、もうそろそろ限界でしょ?うちで休んで帰るといいよ。明日の朝にでもVvv
」
「帰る!!手を離せ!」
「ねえ、舞?立てる?足、しびれてない?さっきまで、ブータほどはないとは言え、猫乗せてたでしょう?」
「謀ったな!!」
「やだな、人聞きの悪い。本当に舞を嵌めるなら、お酒に目薬用意しちゃうよ?」
「何だそれは?」
「ああ、しらない?簡易の睡眠薬v」
「お、お前はどうしてそういういらん知識ばかり…!」
「もう一杯、紅茶いらない?」
にっこりと、彼はそういった。
がっくりと舞が力を失ったのは、その瞬間のこと。
彼女のカダヤは、実際天使と悪魔が上手いこと同居している人間であった。
何でこんなことに、と思いながらも、舞は頬を染めてその後の展開に思いを馳せながら深呼吸して心を決めた。
「いただこう!」
紅茶に罪はない。
ただ、良いようにだしにされただけだ。
ならば、せめて美味しい紅茶でも味わおう。
真夜中のお茶の時間。せめてそれくらいは堪能しよう。
それに、彼ならば嫌ではないのだから。
ちょっとくらい心の準備のために時間をとろう。
彼女の返事に、速水はにっこりと笑みを浮かべた。
彼女と過ごすひと時は、彼にとっての『希望』を信じさせてくれるもの。
そして、それこそが彼の、幸せの時間。
その後の恋人の時間は、tea
timeのクッキーよりも甘いものだったことは、それは、二人だけの秘密。
その時ばかりは、小隊の内なるカップルの敵『奥様戦隊』も現れなかったらしい。
まあ、速水が脅しておいたので当然である。